暗闇演劇黎明期

大川興業は創成期から「暗闇」と楽しく共存してきた集団だ。

大川興業が誕生したのは1983年頃。学ランを着た我々は街灯もない夜の公園で練習したり、ストリートパフォーマンスをしてきた。学ランが黒く、よく暗闇に溶け込むこともあって、学園祭でもステージ上で照明を消し、暗闇の中で宴会芸を展開することもあった。下北沢の駅前劇場でやっていたお笑いライブで、真っ暗闇の中、「ドンと鳴った花火」や「レバノンの踊り」を踊ったり、イベントでも夏祭りの遊園地で、暗闇の中、立ち乗りジェットコースターでポキピカを持って花火を踊り、多くの人々が集まって笑わせたこともある。暗闇で笑い声が聞こえた時は我々の方が楽しませてもらった。のてきた。もともと暗闇でパフォーマンスをする素地があったのだ。

舞台で最初に本格的な暗闇シーンを取り入れたのは、92年6月にシアターモリエールで行なった本公演「ハングリー精神」だ。

この舞台では、一人の男がセキュリティロックがかかった暗闇のトイレに取り残され、暗闇の中で、あらゆる機械が「ゴ飯ガ炊ケマシタ」「オ風呂ガ沸キマシタ」「100メートル先ヲ右折シテクダサイ」「急イデイルノデ信号ハ無視シテクダサイ」「ア! 人ヲ轢キマシタ。早ク逃ゲテクダサイ」などの機械音を発しながら暴走する。暗闇の中、音だけで一人の人間を追い込んでいくシーンが連続して15分ほど続いた。

舞台をやるまではお客さんがついてこられるか不安だったが、それ以上に凄かった。この時は安全を確保するために暗視ゴーグルを使って客席を見ていたのだが、そこで非常に面白いことに気づいた。お客さんの中には、偶然かもしれないけど、暗闇の中でも舞台上の気配を感じ、舞台袖から出てきたセリフのない役者の方にも振り向き、客席から出た役者に気づいて振り向いたりしていた。

「いつかは2時間暗闇だけの芝居をやろう」

それが暗闇演劇の出発点だった。